2011年12月22日

冬至の大阪


昨日から、関西営業。昨日は兵庫県丹波市のT製麺所産の久しぶりの訪問。この店は丹波エリアに讃岐風大型セルフ店を開いた先駆者だ。水害にも耐え、福知山に数年前に2号店を出した。オーナーと福知山店店長と諸々の打合せ、というか開業から今に至る昔話。頑張ったんだよな。いろいろ考えながら特急こうのとりで大阪に向かった。久しぶりの梅田や福島は忘年会シーズンで、夜遅くまで人が溢れていた。


今日は、道具屋筋、難波、心斎橋を打合せ兼ねてうろうろ。道具屋筋の「まちの駅・まいど市」は、店内改装中ということもあり商品の動きが悪い。お客も少ない。千日前から道頓堀へと歩いて行くと、平日の昼時なのだが、かなりの人出だ。香川では考えられない。
関西電力が電気が足りない、と言っている割には、今年のイルミネーションはとても派手なのだそうだ。夜の御堂筋の電飾は、それはそれは見事なそうな。わが地元坂出は、駅前の電飾を今年は取りやめた。人口が少なく、産業も乏しく、電気がふんだんに余っているのに・・・。暗い夜空を取り戻せて良かったとしよう。

2011年12月17日

さぬきの食がいっぱい


「さぬきうまいもん祭り 食の大博覧会2011」が高松市のサンメッセ香川で開かれているので見に行ってきた。香川県が主催の食に関する最大のイベントだ。96のブース出展がある。今年度、県が行ってきた、「さぬきうまいもんプロジェクト」の集大成のようなイベントで、寒空にもかかわらず、多くの来場者で賑わっていた。


内容は、「うどん県、それだけじゃない香川県」と、この間PRに力を入れてきた、県内のありとあらゆる食材が並び、試食したり購入したりできる。会場内には調理師会、司厨士協会、日本中国料理協会の運営する「シェフレストランゾーン」、地元B級グルメ系や讃岐三畜系屋台の並ぶ「屋外グルメゾーン」などがあり、腹いっぱい地元食材を用いた料理を食べることができる。

私は司厨士協会の讃岐牛シチュー(600円)を食べた。大きな赤身の肉が3キレ、これが何とも言えぬとろける柔らかさで大変おいしかった。一流洋食店の味だった。手抜きなしのお買い得だった。弊社の仕入先様の出店も多く、みんないい仕事をしている。先ずは地元の方々に、香川県産の食の今を知っていただき、使っていただく、ご理解いただく。このことが出発点だ。今後は出店する側にならないといかんと強く思った。

2011年12月10日

香川本鷹の島も冬


台風の中、頑張って収穫できた香川本鷹

3か月ぶりに丸亀市沖の手島に渡った。丸亀港発11時10分の定期船は、季節風のせいで木の葉のように揺れた。穏やかな瀬戸内海も、冬型の気圧配置になると白波が立つ。グデグデになり手島に着くと、桟橋まで軽トラが迎えに来てくれていた。

株式会社SFSの兼本社長から4、5日前に「丸亀に行くけど・・・」と言われて、「手島に行くんな・・・」と返していたのだが、目的も何も聞かないでお供した。今回も丸亀市のI氏が一緒だ。軽トラはいつもの農家の前で止まった。納屋の中には、大きな段ボールがたくさん並んでいた。中を開けると、乾燥した本鷹がぎっしり入っている。箱には生産者の名前とA、B、Cと書かれた票が貼ってある。買取価格の元になる等級の審査が今回の目的だった。横にいるだけで、農家の人たちの緊張がピリピリと伝わってくる。

9月に来たときは、長雨や台風のせいで畑は散々だった。けど、そこから頑張って畑を手入れして、思っていたよりも収量を確保してくださっていた。色付き加減、実の大きさと状態でランクは決まる。作付から収穫し、乾燥、選別、箱詰め、引き渡しまでが農家の仕事だ。かなり手間がかかる。SFSは送られてきたものを、再度より細かく選別し直すという。味と風味のばらつきの無い加工食品を作るためには、かなり細かい作業が必要だ。

審査が終わった後は、小学校跡地の集会場で昼食をご馳走になった。島の手作りのそれはそれは心のこもった料理だ。バラ寿司、チヌの海潮汁、チヌの刺身、チヌの姿煮、野菜の煮つけ、チヌのなます、タコの天ぷら。大変恐縮しながら美味しく頂いた。食べながら、来年の事を話し合った。農家の方の思いをどのように利用者に伝えればよいのか。過疎の島に一人でも多くの方をご案内したいと思う。

2011年11月19日

雑煮はご馳走だ


昨日からの雨が降り続く肌寒い天気にもかかわらず、今日の坂出中央商店街は賑わっていた。今日・明日と「坂出食フェスタ・全国お雑煮祭」がシャッター道りとなったアーケード街で開かれている。


並ぶは、岩手県:くるみ雑煮、東京都:関東雑煮、新潟県:しばた雑煮、福井県:越前雑煮、奈良県:きなこ雑煮、鳥取県:小豆雑煮、徳島県:うちちがえ雑煮、福岡県:博多雑煮、長崎県:具雑煮、地元・香川県:白味噌あん餅雑煮の10県の屋台だった。私と一緒に行った讃匠のK嬢とで、東京、長崎、香川以外の7県の雑煮の食券を買い、1時間ちょっとの時間で分け合い食べた。金額は1杯300円、400円、500円の3種。日本は広い、どの雑煮も特徴があり、美味しい。このような露店での限られた条件の中で本当によく出来ていた。

香川に暮らしていると、白味噌に丸もちが入った雑煮以外の雑煮を食べることはなかなか無い。食券にはそれぞれの雑煮の謂れとレシピが書かれているので、各家庭での再現ができる優れものだ。晴れの食事は良くできている。雑煮はご馳走だ。

2011年11月11日

勉強になった


今日は、15時からグランドホテルで開催された坂出間税会の講演会と異業種交流会に参加してきた。講師は元ローソン社長の都築氏で、テーマは「市場(消費者)の変化と中小企業(商店)の成長条件について」だった。まさに当社の抱えている、いや多くの会社、経営者が普遍的に抱えている課題にドンピシャのお題だ。

都築氏は、当時、ダイエー傘下で瀕死の状態だったコンビニ、ローソンの再建を果たした。そこでやってきたことをたんたんと話された。どうやって再建したのか、それは「問題を解決する仕組みを作った」のだ。このことは、現在彼がすすめる農業、農村の活性化にも継承されている。農作物や加工食品が売れない。競争力がない。打開するには、生産コストを下げる仕組み作りをすること。即ちリスクを負担することである。ではどのようにして・・・。

これってTOCそのものである。たった2時間の講演でこの内容の深さ、そして判りやすく噛み砕いていただいた内容だった。講演の後の懇親会でも、商品開発、産地開発などの相談に乗っていただいた。もっと掘り下げ、プロセスを明確化していかないと進まない。

2011年11月10日

きびしい


11月に入っても暖かい日が続いている。そしてここのところ週末は雨続きだ。折角台風にも耐えて実ったオリーブがピンチだ。落実や病気が目立つ。例年に比べて収量は大幅に落ち込みそうだ。


そんな中でも、加工現場はオリーブの新漬けの作業に大忙しだ。エキストラバージンオイル搾りも始まった。本当のところ、絞るのはもう少し収穫に合わせて遅くするはずだった。ところが日を追うごとに実の状態が悪くなっていくので、待てないのだ。作業が重なり忙しいのだが、例年ほど加工量が確保できそうもない。この状態では2011年産の加工品の販売時期の終了も早くなる。要するに食べていけない。天候不順が恨めしい。

オリーブオイルの搾りかすを頂いてきた。実を絞ると9割が糟だ。地中海沿岸諸国などは、この糟で再度絞るのだが、香川県では、大掛かりな設備を設けているところはないので、再度絞ることができない。大掛かりな設備を入れたところで、償却できるだけの香川県産オリーブの実の絶対量が確保できない。

この糟を使って何かができて、それなりのお金に換えることができれば、もう少し楽になることができる。ただ糟はこのままではとても渋く、おまけに砕けた硬い種が混じっている。

2011年11月3日

やっぱり今のが美味しい


坂出市内には製粉会社が3社ある。そのなかの1つ、吉原食糧株式会社のイベント「第5回 さぬきうどんタイムカプセル」に行ってきた。毎年11月3日に行われていて、私の中でも恒例行事だ。林田工場の一部を公開しての工場祭りのようなイベントで、今回は坂出市長や地元選出の国会議員もおいでだった。


このイベントのメインは、200円でうどん購入券を買う。そして20分くらい行列に並ぶ。やっと2つのうどんを受け取り、食べ比べるのである。1つは最新型のさぬきうどん。香川県の奨励品種さぬきの夢2009と豪州産小麦ASW(オーストラリア・スタンダード・ホワイト)のブレンド粉で作ったうどんである。見た目は白く輝く綺麗で硬さ粘りのバランスの良い食感のうどんだ。もう1つは大正時代の製粉製法である石臼引きのさぬきの夢2000で作ったうどんだ。こちらは見た目は太い蕎麦である。とても風味の良いうどんだ。風味は良いのだが、昨晩深酒した私には重たく感じる。食べ物だから好き好きなのだと思う。うどん県香川では、人気のイベントになった。休日の工業地帯に路上駐車の車列。そして工場内にはうどんを待つ人の行列。並ぶんが好かんうどん県民が、ここでは県外客の行列のできるうどん屋のように並んでいる。うどんの他にも、クレープ屋さんなどの出店があり小規模ながらも楽しめる。香川県産小麦さぬきの夢はクレープやロールケーキの生地にしても美味しい風味豊かな小麦だ。用途すなわち出口がきちんと見つかれば、作付を増やしていくこともできる。

話は飛ぶが、TPP参加は次期尚早である。我々の日常生活を守り育てることのほうが重要だ。地元の田畑の恵みをきちんといただこう。うどんも然りである。

2011年10月26日

オリーブが実った

今年のオリーブの収穫は19日から始まったが、天気が悪くなかなか進まない。今朝はやっと晴れ渡った。皆が総出で大忙しだ。

今年は梅雨入りの長雨、そして度重なる台風の襲撃と、オリーブに良くない出来事が続いた。晴れ間を見計らい手摘みで収穫していく。

有限会社・創樹さんの畑は五色台(高松市~坂出市にかけての溶岩台地)南面の高松市国分寺町に散らばっている。ミッション、ルッカ、マンザニロなどの品種を植えている。摘み取ったオリーブの実はあく抜きをした後に塩漬けや、佃煮に加工する。収穫のピークには単一品種の実を絞りオリーブオイルを生産していく。

間嶋社長は「オリーブを栽培して15年くらいになるが、今年は出来が一番悪い」と残念がる。農作物は天候次第、仕方ない。見てくれは少し悪いが、今年も鮮度抜群の塩蔵ができる。エキストラバージンオイルもこれから楽しみだ。

2011年10月9日

讃岐うどんの今

よく県外の方から、「讃岐うどんは今ブームですね」とか「うどんは儲かって良いですね」と社交辞令かもしれないが、よく言われる。ただ香川県内と県外ではかなり温度感が異なるのではないかと思う。

ものの本などによると、第1次ブーム1969年頃、大阪万博出店など。第2次ブーム1988年頃、瀬戸大橋開通による来県者の増加。第3次ブーム1995年頃、麺通団が火をつけた食べ歩き。第4次ブーム2002年頃、首都圏などへのセルフうどんチェーン店の展開。本によると第3次第4次を連続したものとして捉えるものもある。ただ第4次から10年近く経った今はブームとは呼べないと思う。第5次を語る人はまだいない。

日常香川で暮らす者からはブームかどうかは捉えにくい。製麺所の数などは第1次ブームと云われるより以前のほうが多かった。瀬戸大橋開通後は特にコンビニ出店や外食産業の多様化が一気に進んだ。少子高齢化、人口減少の中で県民のうどん消費量はこの間減少している。うどん店も新陳代謝が進んでいる。県外からの食べ歩き客に人気の店と、そうでない店ではおかれている状況はかなり異なる。後継者問題に悩む店、セルフチェーン店の台頭に苦慮する店、県外進出から全国区へと突き進む店、十人十色いろいろだ。ただこれらの動きは過去もあったことだ。食の選択肢が多様化した今でも他県よりは明らかに、うどんへの思い入れや距離は近いのではないかと思う。

全国や世界に目をやると、冷凍讃岐うどんや乾麺の讃岐うどんは日本中や世界の主要都市では当たり前に入手できる。讃岐うどんと称するうどん店も某〓亀製麺所の急速拡大に見られるように外食チェーンの代表選手になった。今後は海外での日本食ブームとりわけ寿司人気とともに、日本食の代表選手として着実に広がっていく。香川県民として嬉しい。


写真は、9月17日に運航開始の琴参バスの「讃岐味めぐり」。10月14日までは無料。

2011年9月25日

「坂出塩祭り」で塩ラーメン

地元ケーブルテレビKBNの取材を受ける亀城庵丸亀売店Fさん

第20回坂出塩祭りに出店した亀城庵(株式会社讃匠)ブースの応援要員として終日、瀬戸大橋記念公園で生ラーメンを試食のために茹でていた。秋晴れのさわやかな行楽日和。人出はまずまず、と言っても例年をあまり知らない。

我々のブースは搬入口に近く、ラッキーと思っていたが、実は奥まった所で、メインステージや正面入り口から見ると、公園の果てだった。寂しく厳しかった。

B級グルメ系飲食店や各種飲食の屋台、フリーマーケット、田舎町のイベントにしたら、それはまあ来場者、出展者がたくさん集まる賑やかなイベントへと成長した。歴史的な主催者の方々の長年の努力の賜物である。

坂出は江戸時代後期に大規模な塩田が開墾されて、今のまちに繋がる。私の母校である中央小学校(近年の少子化による統廃合により、現・坂出小学校)の当時の校歌では「にぃーぽんいちの せいえんち ここ さかいでの ちゅうおうに……」と歌われていた。今の校歌はどうなってしまっているのだろうか。坂出市の人口は1976年(昭和51年)の67,650人をピークに減少し続け、今年は55,069人だ。塩田が廃止され、坂出が日本一の製塩地でなくなったのは1971年(昭和46年)である。塩のまち以降、坂出は番の州工業地帯の重化学コンビナートで少し栄えたが、時代は変わってしまった。その後、1988年(昭和63年)瀬戸大橋が開通したものの、人口減少に歯止めはかからなかった。塩との距離が遠くなったことと、まちの衰退が重なる。多くの方々がこの事象に気付いた。それが「坂出塩祭り」へと受け継がれた。

私が株式会社讃匠在籍中に「坂出塩ラーメン」の企画販売を進めたのは、上記同様な思いがあったからだ。これからも思いを形に変えていければ、そして多くの方々と繋がっていけたらと思う。

2011年9月18日

紀伊の国の見どころ、湯どころ、麺どころ

16日から大阪出張だった。茨木、船場、千日前と得意先をまわり11日にオープンした「まちの駅・まいど市」を訪問。閉店間際で寂しかった。土日前なのに前だしができてないのが気になる。夜は京橋で先輩たちと会食。

17日は和歌山に移動し、駅前の「和歌一らーめん」で昼食。昔風の懐かしいやさしいラーメンだった。理事会・評議員会出席後は懇親会、二次会とだらだらと飲食。出張中のカロリー摂取量は相当なものだ。

18日は和歌山大学松下会館で開かれた「日本うどん学会 第9回全国大会」に参加してきた。6回大会の京都以来の久しぶりの参加となった。基調講演は和歌山大学・床井准教授による「和歌山ラーメンという物語」だった。和歌山ラーメンはメディア露出の多い井出商店くらいしか知らない私にとっては、素晴らしい歴史的流れを紐解く内容だった。
床井氏のサイト「和歌山のラーメン」のページへ

午後からは、四国B級ご当地グルメ連携協議会議長内海氏による「多度津鍋ホルうどん88」特別講演のほか5本の研究報告・議論がなされた。
1.徳島のそば文化
2.第三次さぬきうどんブーム以降のうどん店経営の方向と市場安定化の方向性について
3.近世さぬきにおけるうどんの変遷について
4.そばって美味しんです! -そばに関する研究活動報告-
5.漱石と饂飩

今大会も日本うどん学会ならではの懐の広い内容となった。次回は金沢での開催予定を確認して閉会した。今後、水沢、喜多方、稲庭と開催地を北上できれば楽しいと思う。

2011年9月11日

「まちの駅・まいど市」オープン



大阪市に千日前道具屋筋商店街という商店街がある。なんばグランド花月からなんさん通り(でんでんタウンへと続く)の間の道幅の狭いアーケード街だ。外食店向けの食器、什器、調理器具の専門店が多い。

この商店街に1店舗空きテナントができた。たった1店の空きテナントはシャッター通りへの前兆だ。この場所を使っての短期イベントなどは行われていたようだ。しかしなかなか借り手がつかないまま、時間は過ぎて行った。商店街の世話役の方々、短期イベントに参加されていた有志の方々の尽力により常設の物産展として出発することになった。

震災から半年、食い倒れの街大阪から日本を元気に。準備期間が殆どないなかで、とにかく開店した。大阪市長の平松氏も駆けつけてくれた。長期不況の中で、大企業、老舗企業の大阪撤退が続き、大阪の街の地盤沈下が続いている。名門商店街をシャッター通りにしてはならないという想いが形になるかどうか。日々の改善、コンセプトのさらなる明確化が問われている。

四国から見ての大消費地大阪が壊れると四国も壊れてしまう。

2011年9月8日

香川本鷹の島


丸亀港発09時25分のフェリーで手島に渡った。Y新聞東京本社W記者の香川本鷹取材の案内で、SFS兼本社長、日本農業新聞O記者、香川県職員K氏、丸亀市職員K氏という「香川本鷹復活プロジェクト」のメンバーとご一緒させていただいた。

私は香川本鷹一味などのSFS社本鷹加工品の販売をさせていただいているが、畑は見たことがなかった。とても良い機会だ。今年作付がされているのは丸亀市沖の塩飽諸島にある手島だ。

島に着くと農家の方が軽トラで迎えに来てくれた。皆で荷台に乗り、早速畑に向かった。皆が言うには今年は例年と比べ生育が悪いようだ。梅雨初期の長雨、そして2度の台風による雨。塩飽の島には珍しく雨が多かった。そして先週末の台風12号の暴風で枝が折れていた。とても綺麗な浜辺の横から山へと本鷹の畑は続き、手入れは行き届いている。山と本鷹畑と海・・・、とても心地よい空間が続いている。

島の景色は優しい。そして人も優しい。リポD、BOSSそしてコーヒーと沢山頂いた。そして帰りは漁船で丸亀港まで送っていただいた。周囲11キロの島に登録上の人口は40数名。けれど実際は何人住んでいるのだろうか。人が戻ってくるためにはお金になる作物が必要だ。瀬戸の島々の課題は明日の我々の生活の未来でもある。

2011年9月6日

宇多津町復元塩田


先日のプログでも少し触れた、大阪の空店舗事業への出品に向けた商品探しに、隣町の宇多津町振興財団にお伺いしてきた。

ここは宇多津町の観光スポット『ゴールドタワー』の袂の海辺にある。入浜式塩田を復元し、年間2トンの塩の生産をしている。この塩を使い、「入浜の塩」「入浜のにがり」「宇多津の塩飴」「うたづ塩キャラメル」を商品化して販売している。

地元以外では、東京新橋の香川県のアンテナショップ、大阪の香川県事務所などの限られた所でしか見たことのない商品だ。取り扱わせてほしいと申し出たものの、弊社への仕切を聞いて事情が呑み込めた。商品化はしたものの売れても原料が無いのだ。原料を作るための塩田は旧来の入浜式塩田だし、宇多津町にはそもそも自然の浜辺はないし、製法はほとんど人力だから人件費も・・・そしてこの事業は民間ではなく町がしている。

弊社が小売店なら利幅は小さな商品だが扱えなくはない。しかし弊社は卸だ。残念だが今はあきらめるしかない。

坂出市、宇多津町などかつて塩で栄えた町の繁栄は、塩を現在から未来形で作り伝承することだと思う。坂出には日本海水讃岐工場があり、年間17万トンの塩の生産を行っている。一部流下式製法で作られた昔ながらの塩もあるが、大半は量産重視のイオン交換膜法で作られた塩だ。イオン交換膜式の塩は値段が安いのは良いのだが、旨みに欠ける気がする。小規模の食品メーカーはシェア争いをするような量産は向かない。少々原料コストがかかっても物語があるオリジナルな商品開発が必要だ。そのためにも物語のある坂出の塩が欲しい。

2011年9月2日

台風のなかHASKへ


台風12号接近中のなか徳島県松茂町のHASK(ハレルヤスイーツキッチン)を訪問してきた。

ここは弊社の取引先様の㈱五線譜さんのグループ企業、市岡製菓㈱傘下の㈱ハレルヤ工場直営ショップだ。徳島県民ならだれもが知っている「金長まんじょう」の製造工程の見学はラインが動いているときは常時できる。また市岡グループ3社の代表的な商品を購入することができる。軽食コーナーでは日替わりのお菓子食べ放題とランチが楽しめる。店の一角にはお菓子作り体験コーナーもある。お菓子好きでなくても楽しくなる清潔感溢れる店舗だ。建物の周りには鳴門金時の芋畑が広がっている。

暴風雨というあいにくの天気だったが、お昼時にはランチを楽しむお客さんが数組着ていらした。徳島空港にも近く、今後もっともっとお客様に楽しんでいただける空間になっていくと思う。

市岡製菓グループは鳴門金時をはじめとした、地場の農産物を使った商品開発に熱心だ。次は何を出してくるのかワクワクする。弊社では今後ギフト商品なども扱わせていただく。お取引先様には改めてご提案していきますのでよろしく。

2011年8月26日

たまには書評

「なぜ、横浜中華街に人が集まるのか」 (林 兼正 著 /  祥伝社新書)

最近自分の生まれ育った町坂出の中心街の衰退をみながら、ぼんやりと町おこしのようなことを考えている。本当にただぼんやりと、どうしてこんなことになっているのか。坂出だけでなく隣の丸亀の商店街も、そして高松中央商店街さえもとんでもない大変なことになってしまっている。しかし私も私の家族も何の不便もなく日常生活はできている。

そう、私は林氏のいうところの「定住者」なのだ。坂出の商店街、元町、本町で商いをしている商店街の当事者、商人ではない。しかし私の祖父(早死にだったそうで、私の生まれるはるか以前に亡くなっていた)は本町筋で松井呉服店を営んでいたらしい。爺さんの時代は当事者だった。

林氏は「町はつねに衰退に向かって疾走している」という。毎年2300万人を集める横浜中華街もそうだという。ではどうして今の繁栄があるのか。先人たちの絶え間ざる努力の積み重ねがあるからだ。子々孫々のために潰れても潰れても復興させ時代に合わせて変化させてきたからだ。横浜中華街も関東大震災、横浜空襲で徹底的に破壊された。

この本には街づくりのことだけではなく、横浜の華僑の歴史、リーダーシップとは、組織とは、経営とはが詰まっている。生きていくうえでのヒントがたくさん詰まっている。

今回の関西出張中、大阪中央区ミナミ商店街連合会のかたから、空店舗対策事業の話を頂いた。衰退する大阪でミナミもキバッテいる。弊社は出口つまり売り先が必要な一次産品生産者や零細加工業者の商品を街行く人につなげていきたい。

2011年8月22日

カレーうどん大(2玉)=約6.5ドル(500円)


「米欧破産!」週刊誌は米国、EU諸国の財務状況が深刻なことになっている。円高はその表れであるとする。そして日本経済は、債務残高がGNP比200%を超え、深刻なEUや米国よりもはるかに破たんリスクは高いと述べている。

今は落ち目とはいえ、米国国債は中国と我が国が買い支えている。日本がこけると米国はじめ世界のあちこちの国がこけることになるのではないか。世界経済はお互い様の様相である。ということはどこかの国のわがままを許さない事、すなわち盗人が、わさわさ出てきても財産を取られないようにすることが大事だ。実力行使ではなく制度的仕組みを国際協調で作ることである。誰がどこにどのように働きかければできるのかは今の私には解らないのだが。

経済の行き詰りが続くとファシズム台頭を許す流れができる。7月ノルウェー銃乱射事件は象徴的事例である。容疑者が移民の受け入れをしていない日本への憧れを抱いていることに複雑な気持ちになる。日本国内では韓国ドラマ放送反対日の丸デモが放送局を包囲した。今後国内のマイノリティ排除の運動にならないようにしっかりと見守らなくてはいけない。歴史は繰り返させてはいけない。

今年の夏休みは香川県内のうどん店、製麺所は苦戦している。県外からのうどん食べ歩き(うどん巡礼)に来られる方が減っている。高速道路1000円が打ち切られた事、震災の影響・・・など要因はいくつかあるのだろう。10年間続いた第4次讃岐うどんブームもいずれは終わる。そして新たな流行がどこかで芽生えてきているはずである。人は常に新たな刺激と満足を求めているのだから。

2011年7月29日

いなかめし輝卵鈴


ひさしぶりに府中町の輝卵鈴(きらりん)で昼食を食べた。この店は、今年の春オープンした『たまごかけごはん(380円)』で、最近地元メディア露出も多い有名店である。本業は養鶏などを営む農園だと思う。香川の典型的な農家の母屋がお店だ。玄関を入ると土間がある。土間をあがると二間続きの座敷がある。ここが客席。まるで親戚のばーさんちに行き座敷でくつろいでいる感じである。

今回食べたのは『府中どんぶりカレー(田舎風野菜いっぱいたまごカレー)=写真のメニュー』だ。ごはんは白いごはん、玄米ご飯、もち麦ごはんの3種から選べて、量も自由。カレーには半熟たまごが乗っているのだが、別に生卵も何個でも食べてOKという太っ腹なお店である。養鶏場の朝採りたまご(茶玉)は素朴に美味しい。そしてこのカレーは変わっている。具だくさんのけんちん汁をカレーにしたスープ風カレーで、肉の代わりは高野豆腐。この内容で480円はうどんでも敵わない。

投資のかなりかかる外食において、もともとあった家を最小の改築・修繕でお店とした、そして本業と繋がっているメニューとしたことが、メニュー単価を抑えることができたのだ。街の人にはうらやましい店だと思う。田舎でも新鮮だ。うどん屋ではない、このような店が増えていくことも楽しい。

2011年7月15日

鉄板ITADORI


昨日は『蛍』でたらふく食べた後、新幹線で軽井沢へ。T麺商事の皆さんと、中軽井沢にオープンする『鉄板ITADORI』のオープニングパーティに参加してきた。虎杖(いたどり)は東京築地、京都、軽井沢で13店舗を展開する外食グループだ。新鮮なこだわりのある食材を用いて一粒で2度美味しい的な料理を提供してくれる。


今度の店は、注来の旧軽井沢の3店からは少し離れた中軽井沢で出店した。店の前には小さなハーブ畑が広がる。築地直送の新鮮な魚介類、長野県の野菜、そして和牛がテーマの鉄板焼きの店だ。コースには京都のかわいいおばんざいも付く。素材の持つ旨さを引き出すのは、単純に焼くこと。素材が良いからこそできる贅沢だ。中軽の新たな名所となることを期待したい。

昼間に食べたおびただしいうどんのおかげで、折角の料理とお酒が遠慮がちにしか進まなかったのが残念である。隠れ家的お店・・・軽井沢においでの際は是非どうぞお立ち寄り頂きたい。

2011年7月14日

新宿の蛍


14日から東京出張だった。目的の1つはこの日オープンした、『讃岐うどん・串焼き 蛍』のメニューの確認を計る事だった。麺の状態、つゆの味、盛り付けの状態を見させていただいた。茹で置きではなく、茹でたてで提供されているので麺は問題がない。茹で加減も丁度よかった。つゆは好みの個人差が強いので難しい。無難なのは、ある程度糖度を出すことだ。今日のような猛暑日には塩度をほんの少し高めることも必要だ。

結局カレーつけ麺も頂き、3食立て続けに食べた。麺好きでもさすがに厳しい。1食の量がセルフ店ではないのでそこそこあるのだ。

新宿1丁目の皆さん。レトロな洒落たうどん店がオープンした。夜は居酒屋メニューも沢山ある。〆のぶっかけうどんも美味しいのでよろしくお願いします。裏情報として店長はかなりのイケ麺、ご期待頂きたい。

2011年6月21日

伊香保でベーグル


21日は高崎までU代表にお迎え頂き、車で伊香保へ。目的は前向きな節電対策、キャンドルナイトを見せていただくこと。彼のお店は伊香保温泉街の階段筋からちょと路地に入った『Soup&Cafe大正浪漫黒船屋』。夜営業は電気を使わず、ロウソクと氷でお店を営業するとの事。昼間冷蔵庫で氷を作り夜は冷蔵庫を止め、中の物は氷で冷やす。店内の電灯は消しロウソクの灯でお食事。伊香保は山なので前橋や高崎よりは夜は幾分涼しい。このキャンドルナイトは東京電力などの原発推進派の電力各社が進める節電キャンペーンに迎合するものではない。夏涼しい伊香保の魅力を少しでも多くの方に知っていただきたいから、このような手間のかかることをしている。そう、U氏に伊香保や水沢のことを語らせたら熱いのである。すたれ行く観光地である郷土を変えたいのだ。
ベーグルのパンは前橋のベーグル屋さんが焼いたもの、中身の豚肉も地元産。・・・私の得意は四国産、海無し県の群馬には塩がないので提案してみよう。
あいにく夕方には東京に戻る用事があったので、ロマンチックな灯はお預けだ。

2011年6月19日

やっぱり和風


19日から東京営業。自由ヶ丘で打合せを済ませ、銀座三越B2食品売り場でのオリーブオイルプロモーションで上京していた創樹のS本さんとフラワーワンストップの生パスタ納入先のミッドタウン前『六本木阿波尾鶏』で遅めの夕食。
この店のコンセプトは地鶏と地魚・地野菜を美味しくいただくこと。100席の店内には趣の異なる部屋が用意されている。フラワーワンストップのT田GMの計らいで生パスタ各種を調理して頂き食べることができた。この店はイタリアンではなく、和風のお店。当然パスタも和食器で出てきた。ほんのりとソースの中に出汁の味がする。このソースにもちもち食感パスタが合っている。大変おいしくいただくことができた。創樹の高松産手摘自家絞りのエキストラバージンオリーブオイルを垂らすことができなかったのが残念。
日本には日本の食材や調理法で作る○○風料理が沢山ある。我々が食べなじんできたものが無理なく美味しいと思う。

2011年6月10日

うーん、深くて楽しい


京都にある㈱谷商店のT社長と高知県四万十町にある㈱四万十ドラマを訪ねてきた。四万十ドラマのコンセプトは『四万十川に負担をかけないものづくり』。四万十川の自然環境を保全しながら活用することをベースに、環境・産業・ネットワークを循環させながら、四万十川に負担をかけないものづくりをしている。京都の物産の開発販売を手掛けるT社長にドラマのA社長を紹介するのが今回の四万十行の目的だ。熱い社長さんの歓談は、起業して間のない私にとって大きな刺激であると同時に、今後自分が何をすべきなのかが本当にうっすらなのだが見えてくる。ただ四国の食品の紹介・販売でいいのか、今はそれさえもまだできていない。自分の足元の坂出、香川をどうしたいのか・・・ここをしっかりと考え続けなければならないと思う。

夜はT社長と高知市内のひろめ市場で夕食。かつおの塩たたきはとっても美味しかった、安兵衛の餃子もいけている。

2011年6月7日

どこもまだまだ大変


6日、7日は㈱讃匠のうどんの斡旋販売のお願いに宇都宮、太田などにあるF社さんの生協、サービス部門会社、関連会社などを回った。震災の影響で減産がまだまだ続いている。ボトルネックは被災した半導体メーカーと塗料メーカー。影響は国内メーカーに留まらず、海外のメーカーにも及ぶ。宮城、福島、茨城などの震災被害が甚大だった場所は世界の先端産業の集積地でもあった。この寡占状態が良質なものの低価格での供給を可能にしていたといえる。今後は物作りにおいても今までになかった価値観や過去の効率が悪いなどの理由で姿を消した事柄が見直されたりするのかもしれない。

6日の昼飯は宇都宮に行くときはお決まりの「みんみん」の餃子だ。混んではいたが、何時ものような行列ではなかった。店舗マップには2か所上貼りがなされている。勢いのあるみんみんでも・・・

ここの餃子は焼餃子、水餃子、揚げ餃子の3種がありどれも1人前(6個)240円。好きな餃子とご飯を頼みガシガシと食べる。宇都宮にはこのようなシンプルお手軽な餃子屋さんが沢山あり、ご飯のおかずやおやつとして日常的に食されている。焼いてもらい持ち帰る人も多い。香川県にうどん屋さんが所狭しとあり、近所の人が茹でたうどん玉を買いに来るのとよく似ている。近状のお店屋さんと暮らす人のこのような関係のある町が好きだ。

2011年5月26日

こだわり食品館


久しぶりの大阪営業。今回の目的の一つは㈱シーアンドシーというこだわり系食品を扱う問屋さんがオープンする『Codawari.ShokuHin-Kan』訪問である。この店の話はかなり前からN取締役からうかがっていた。問屋さんのアンテナショップであり、前例を私は知らない。

店舗は小さめのコンビニサイズ、店の奥にカフェスペースがある。店のつくりはコンビニと違い棚がしっかりした木製で落ち着いた感じだ。棚にミレービスケット(高知県民の定番)を発見。さすがN氏、お目が高い。他の商品もコンビニや大手スーパーではあまり見かけないものばかり。こだわり系食品や地域産品も最近はパッケージデザインがおしゃれになってきた。棚に並べてはじめて商品といえる。お客様の手に取って頂けなければ消えていくしかないのである。高質系売場への進出を狙う商品はパッケージデザイン、それと一括表示に現れる原材料の選定に注意を払う必要がある。

N取締役とカフェの窓側の席に座り往来の人を眺めながらここまでの苦労話、今後の展開をうかがった。食品流通のありかた、食品づくり・・・知恵を集めて少しずつでも変えていきたいと思う。(住所:大阪市中央区南船場4丁目7-23南船場第2東洋ビル)

2011年4月30日

☆無茶暑いぜ!


28日の夜から長野市に行ってきた。29日の夜はF社のH社長と彼のお店で会食。そこで信州プロレスリング代表のグレート☆無茶氏をご紹介いただいた。ご紹介いただいて、いきなり☆無茶氏は『FMぜんこうじ』の『電リク!長田 清の金曜ラジオ あくゆう酒場』に電話で3分間の生出演となって、一緒に飲んでで驚いた。3分間の内容は、3月12日の大震災に見舞われた長野県北部の栄村復興支援チャリティプロレス大会の案内だった。

出演の後、H社長、トレーナーのK氏と4人で大会についての話をした。開催日は5月29日長野市ビッグハットにて行われる。当日は長州力、藤波辰爾、初代タイガーマスクの佐山聡の3氏もリングに立つという。いやぁあの時代の新日好きだった私にはキラキラと輝く話だった。栄村のために「安全第一!台本重視!社会人お笑いプロレスごっこ!」をスローガンに掲げる信州プロレスに何ができるか、で☆無茶氏がプロデュースする。長野には熱い楽しい人達がいる。当日行きたい。しかしスケジュールが・・・何らかの形で応援したい。信州プロレスリング、大会当日の案内についてはhttp://swfnagano.com/をご覧いただきたい。また彼らや女子部を呼びたい方々もHPをよろしく。

2011年4月19日

ありがたいことです

昨日は懇意にしている醤油メーカーの社長さん専務さんとさぬき市の餃子で有名なF社に伺ってきた。ここはチルドと冷凍の餃子の製造販売がメインの会社だが、冷凍讃岐茹でうどんの製造販売もしている。麺は香川県産小麦100%のものと、ASW主体のものを持っている。外食関連のお客様からは冷凍茹でうどんのお問い合わせをいただくことが多い。それにお応えできるものは用意しておきたい。具体的な仕様、価格の話は今後進めていくことになえるが、お取引に関して、社長様、工場長様からOKを頂くことができた。実績のない歩み出したばかりの弊社としてはとてもありがたい。

今日は産業廃棄物と瀬戸内芸術祭で有名になった豊島でレモンの有機栽培を手掛けているO社長が師匠を紹介したい、というので高松に行ってきた。師匠は愛媛の八幡浜出身で今はタイのチェンマイで暮らしている。年に何回か帰ってきて農業関連、よくわからないが、まあいろんな農業にかかわることをしているようだ。農業を元気にするためには、とか、有機栽培を長く続けるためには○○が必要だとか。農業をしたことのない私にはちんぷんかんぷんの話が2時間続いた。一概に食といっても範囲は広い。勉強しなければならないことはとめどもなくある。「おいしこく」の進む方向は、人との出会い交わりの中にある。その後、昨日の延長で冷凍茹でうどんの取り扱いの話に、琴平に行き歓談。手順は一歩ずつだ。

2011年4月17日

「さかいで楽市楽座 四月市」を覗いてきました


今日は『第1回さかいで楽市楽座 四月市』がJR坂出駅前で開かれていたので覗いてきた。坂出市は瀬戸大橋がかかる街。四国から本州に繋がる交通の要所である。人口は1976年の6万7千人をピークに今は5万5千人と減り続けている過疎化が進む街だ。何とかせねば・・・と商工会議所青年部は活性化に向けた様々な取り組みを行っている。その一つが今日から月一開催で始まった朝市だ。

初日ということもあり出店者は20数店と少な目。しかし四国B1の王者『元祖かっしゃ焼き』やイベント常連組の『コロ家』などの名店も出ており、田舎町の日曜の朝としてはまずまずの人出だった。私の同級生連中に商工会議所の専従が何人かいて、出店を進められている。私も従業員のいる会社ならばトライするのだが・・・今は時期尚早である。坂出は香川県内の町の中では珍しく、駅が市街地の中心にある。駅前から情報、賑わいを発信することが市内の活性化に直結する。また、駅前はそこそこ風光明媚でもある。市民参加の取り組みが増えれば街は生き生きとしてくる。弊社も何か将来はお役に立ちたい。

2011年3月26日

50にして想う

昨日で50歳になった。昔は人生50年といわれていた。まだまだ若いなどと思っていたが、これからは余生なのだ。どのように過ごそうか・・・昨年末に会社立ち上げたばかりで経済的には厳しい。けど余生は納得できる生き方をしたい。香川、四国を、食を通じて少しでも多く方々に伝えていきたいと思う。良い物は良い人たちが作っている。

このブログでは四国を中心とした全国の、たまには世界の事柄、物事、出会い、そして弊社の扱い商品などについて綴っていく。