2016年8月16日

皇居炎上(中澤 昭 著:近代消防社 刊)を読む

人生の大先輩、習志野市の加瀬勇氏に勧められていた本をお盆に読んだ。加瀬氏は71年前の3月10日の東京大空襲(大虐殺)の日、年少消防官として、ポンプ車で消火活動に急行したものの炎に巻かれ瀕死の重傷を負った。この日を含む米国の度重なる空襲で多くの消防仲間は殉職した。消防活動をする者の側から、帝都東京を舞台に1941年(昭和16年)12月8日の日米開戦から1945年(昭和20年)8月15日の敗戦までを振り返り、この戦争の総括を試みたのがこの本である。

今まであまり取り上げられることのなかった1945年5月24日、25日の大空襲による皇居炎上にも筆を割いている。24日午前1時36分からの約2時間、B29約520機により11万9000発の焼夷弾が落とされ、そのうち6発が天皇が避難したお文庫の近くに落ちたが、無事鎮火した。しかし翌日も度重なる空襲は続き、25日夜10時、皇居内「奥宮殿」から出火、大混乱のなか26日午前1時過ぎ「正殿」が出火。その後の4時間の死闘で、皇居内2万8520平方メートルが消失、皇居27棟のうち焼け残ったのは接待所の1棟のみだった。死者34名。うち18名は警視庁消防部消防特別隊員、他には宮内省警察消防隊員と近衛兵が含まれる。

私は当時の戦争で皇居はほとんど無傷だと勝手に思っていたが、事実は壊滅である。勝てもしない戦争に突入したことにより完膚なきまでやられたのである。その後悲劇は、全国の各都市、沖縄、広島、長崎、満州・樺太へと続くのである。

この本を読んで驚いたのは、東京への初めての空襲は1942年(昭和17年)4月18日なのだ。このときはB25爆撃機によるものだった。真珠湾開戦からわずか4か月後だ。その後5月4日のミッドウェー海戦で大敗北を期し、制海権・制空権を失って、その後はアジア太平洋、遠くはオーストラリア、ビルマ・インドまで戦線拡大しているものの補給を絶たれ、玉砕、餓死、病死、特攻という無駄死に突き進むのである。

この本では消防という側面から、軍と警察の組織の間の葛藤と軋轢、精神主義的軍人訓、国家総動員法など人命軽視の当時の風潮が空襲大火災による不必要な死を招いたとする。そして「日本国は責任回避の楽園」だったと記している。東京裁判への賛否両論があるが、果たして当時、戦争に突き進んだ軍部、天皇、政治家、軍産複合体企業主、マスメディアを自らの手で裁けたのだろうか。

「日本国は責任回避の楽園」は、3・11から今に至るフクシマの現状にも当てはまるのでないのか。過去をきちんと検証して論ずることを怠ると、未来はとても厳しいものになる。この本の中でも、敗戦間近になると、軍の施設、各省庁、工場、皇居、学校いろんなところから空襲による火災の煙とは違う、煙があがっていた。それは証拠隠滅のための焼却による煙だ。連合国の上陸占領を知る者たちは、資金を隠し、不都合な事実は消し去ったのだ。

戦後71年、戦争は風化し、海外に散らばる遺骨収集も終わる目途すらもないなか、安全保障法案は採択された。武器も原発も輸出する国になった。この何の総括もしないなか、薄気味悪い未来に突き進むのを止めるのは、明治維新以降、日清日露戦争を経てアジア太平洋戦争に突き進んだ歴史の検証なのだ。それも民衆の声なき声をきちんと拾い上げることなのだと思う。近代消防社の記録を残そうとする取り組みは素晴らしい。

松井の昼ごはん 8月8日 丸亀市飯山町山の谷うどんでおでん2本+ざる大。セルフ全盛依然のうどん屋はこうだった。

松井の昼ごはん 8月9日 観音寺市栄町中華そば きっそうで中華そばあっさり大。甘めのまろやかな味。麺が細いのに茹で過ぎだ。

松井の昼ごはん 8月10日 善通寺市下吉田町まるやうどんで冷かけ中+野菜のかき揚げ。暑い日にはこれでミネラル補給。

松井の昼ごはん 8月11日 綾歌郡宇多津町塩がま屋でぶっかけ冷中+おでん2本。たまには太麺。麺質はこれが美味い。

松井の昼ごはん 8月12日 坂出市室町春夏秋冬で鳥南蛮ランチ。ここの天ぷら物はとても美味い。コスパも高い。

松井の昼ごはん 8月13日 丸亀市飯山町手打ちうどん彦江で冷やかけ中+コロッケ。これで350円。

松井の昼ごはん 8月14日 丸亀市土器町マドリエ未来館で開催のさぬきオーガニックマルシェでHANAUTA虹房の生春巻きとte-maのコッペパン。

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